経済 政治
久しぶりの郷土出身の閣僚が本日の野田内閣の改造人事で退任となった。
昨年9月の内閣発足から4ヶ月半の短期の在任期間で終わったことは本人は勿論、地元の支持者たちにも残念なことだろう。
しかし、就任そうそうの「わたしは素人ですが~」という発言が防衛オタクとも称される元防衛相の石破衆議院議員からは「即、辞任に値する」と非難されたのを始めとしてその他のトラブルが続いたのは不運だったともいえる。
実は筆者にとっては「素人ですが~」発言が個人的には非常に興味をひく出来事だった。なぜなら、この発言はどういう心理の下に、あるいはもっと大げさに言えば精神文化の下に発せられたものか? と気になったからだ。
まず第(1)に考えられるのは、自分は石川県の小松という田舎を選挙区にしている政治家であって国際的で対外的な国防事項や軍事問題については今まで経験も関心もなかった。たまたま党内派閥人事の巡り合わせでこうなっただけで、専門的なことは何もわからないのですがお手柔らかに宜しく、という言い訳混じりの挨拶。
これはわれわれ日本人同士ならそのニュアンスは理解できる挨拶だ。
しかし軍事行政組織の長という国家の緊急事態に即断即決で指揮をとらないといけない職位にそんな人間が就くのはあまりにも危険ではないか。 これこそ日本人特有の「甘えの精神」そのもの。日本以外の国では絶対通じない話だろう。
自分に職務にふさわしい能力が無いと思うなら、就任辞退をするのが政治家の見識と勇気だったのではないか?
(2)次に思いつくのは、一川氏は儒教的徳治主義の信奉者で、政事(まつりごと)の長はすべからく細かな実務的なことは部下に任せ、自分は大局的な見地から徳をもって治める。 徳のある人物は専門的な知識がなくても常に賢明で適切な判断を下せるので「素人」でもかまわない、という考えに基づいているのではないかという場合だ。
もちろんこの場合は本人にそのようなオールマイティな力としての「徳」があるということが前提になるが、一川氏は自信がおありなのだろう。
ところで、一川氏は退任時の感想で「素人目線、庶民感覚での運営をやれたのではないかと自負してる」という趣旨の発言をしていた。正確にはこの通りの文言ではなかったかもしれないが、そのような感じの表現をされていた。
そうなると、第(3)の解釈が可能となる。
氏の意図は、自分は一般国民と同じ常識的な知識、見識、思想的立場に立って国政の運営をおこなう。民主主義社会は市民が主体で最終決定者なのだから、その代表である議員は国民の意見にそのまま従わねばならないという考え方だ。
そう言えば、よく「消費者目線」で「主婦感覚」で政治をやりたいと選挙演説で叫ぶ候補者がいる。考えてみると、この点に大きな誤解が潜んでいるのではないだろうか?
「どぶ板政治」という言葉がある。日常の細かな生活要求をすくい上げる行政や政治。市会・県会議員レベルならそれも必要だろうが、国会議員はそれでは済まないだろう。
TPPにしろ国家財政危機への対応の問題にしろ、すべて高度で複雑な国際的な経済・金融・外交状況がからむ事柄。それこそ天下国家を論ずる立場からの視点が必要だ。 庶民である国民は狭い生活範囲内の視野での意見を好みがち。
国会議員には庶民とは違うレベルで国政を論議し運営してもらうことを当の庶民(自覚的な)は期待している。
政治家の質の劣化を嘆く声が多いが、その責任は”御用聞き”政治家を選んでいる我々庶民(国民)にあるに違いない。
(記: 2012年1月13日)
民主党の小沢国会議員が強制起訴され本人は裁判で無実を証明したいという。今まで検察が何度も調べたが起訴に至らなかった。これこそ自分が潔白である証しでもあり、これからの裁判で自分の無実が証明されるであろうと述べているようである。
確かにこれから裁判は何年かかるかは知らないが、有罪判決が下る可能性はほとんど無いだろう。
しかし本人も十分わかっているはずだが、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟法上の大原則があるため、いくら状況証拠が黒でも直接的で確実な物証や証言がない以上裁判所は無罪を宣しなければならないだけの話である。判決が無罪であってもそのことは無実を証明するものではない。
ちょうどいま、大相撲での八百長問題が世間の話題を呼んでいる。
以前から週刊誌ジャーナリズムを中心に八百長疑惑がとりざたされていたが、相撲協会と力士側は出版社やライターを名誉毀損で訴え裁判に勝ち、出版社側から賠償金も受け取っていたという。 その中には今回警察の捜査資料に含まれている力士たちもいるという。裁判官だって騙される。
政治家ならば有罪の証拠が無いから無罪だとする裁判所の判決に喜んでいてはならないだろう。 政治家が納得させなければならないのは一般市民の常識と感覚だ。
まともな大人の常識からみて「ありえへん」話をして身の潔白を言い募るのは子供騙しの言い草であり、これほど人をこけにした態度はない。
小沢問題への対応で民主党や政権への支持率が上下するのは、この問題がまさに国民の神経を逆撫でせざるを得ないからだ。
小選挙区制度の下では、いくら国民から嫌われていても当の選挙区の有権者が地元選出の実力者になんらかの利益誘導の手腕に期待を寄せている限りその議員の立場は安泰だ。
ただ学校の道徳教育担当の先生は困るだろう。
世の中「正義は勝つ!」ではなく「悪は栄え、馬鹿正直に法を守るような人間は損をする。君達も世の中に出たら遵法精神はそこそこにして上手に世渡りをしなさい」と言わざるをえない。
これこそ困った話ではないだろうか。
(記:2011年2月12日)
V字型内閣支持率回復にすっかり気を良くして野党の非難もものかは、国会をあわただしく閉会し選挙戦になだれ込んだのはいいが、鬼門である増税問題に自ら不用意に言及しあっという間に選挙に大敗してしまった民主党内閣。この奇妙な経過を裏から見るとどう見えるのだろうか?
我々、庶民にとって菅総理の消費税発言はいかにも唐突だった。私なども「消費税をしばらく上げないと民主党は言っていたはずだが。いつ党内で方針変更を決定したのだろう。」といぶかしく思った。ただ、4年間も上げないというのも、巨額の赤字国債を出している現状では無責任な方針で、遅くとも来年度は増税問題を真剣に検討せざるを得ないだろうという感じは持っていた。しかし、何も、よりによって選挙の直前に、形にすらなっていない増税法案への信任投票を求めるような事を突然言い出すとは気でも狂ったか! 「殿ご乱心」と周りが抑えつけなきゃいけない場面だった。
しかし、菅首相本人の心理状態からすると、それほど不自然な行動ではないようである。ある雑誌の報道によると前鳩山内閣時代、財務大臣として鳩山首相に何度も消費税増税の具申をしていたとのこと。
今年、2月6日のカナダでのG7会合(主要7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議)に出席した際、ギリシャの財政破綻問題での危機論議を目のあたりにした。
又、野党・自民党が既に先の通常国会で「財政健全化責任法案」なるものを提出している。民主党の「ばらまき政策」を批判しながら自民党は責任ある財政健全化政策を持っていると主張するのが狙いだが、これに対して菅首相は「自分の考えているのとほぼ同じ主張だ」と語ったそうだ。
それもそのはず、財務省官僚が野党の法案作成の「お手伝い」を裏でこっそり手弁当で行っており、多分、首相には「財政再建・健全化は一刻も猶予ならない喫緊の課題。野党もこういっていますので、ぜひ首相も早期の着手を」と持ちかけたことだろう。 菅氏個人としての気持ちはドンドン前のめりになっていたに違いない。
一方、国民の側からすれば、確かに事業仕分けは行われたが、以前に言っていたほど大きな額は節約できなかったし、まだまだ不十分に思える。 「1番にならないといけないのか? 2番じゃ~」の論議はあったが、多少の行き過ぎや反作用は大きな変革の中では覚悟の上。もっとどんどんやってくれ。 公務員制度改革はどこまで行っているのか。「政治とカネ問題」なんぞに騒いでいて全然進んでいないじゃないか、というのが大方の気持ちだろう。
今回の参議院選挙では菅内閣は「現在の巨額債務は過去の自民党政権の無駄、非効率な公共投資のおかげ」と責任をすべて押し付け、「自分たちはさらに事業仕分けや非効率な制度の改革を徹底的に推進する。そのうえで強い社会保障の維持と財政健全化を両立させるために挙国体制で税制度の抜本的見直しを進める。」とのフレーズを飽きることなく繰り返すだけでよかった。
それだけで十分単独過半数を制する可能性があった。
そうなれば今頃は何の苦労も無く、野党に呼びかけ税制度(消費税増税)を審議する段階に入れていた。野党も拒否できないから話は速い。
カードゲームでいい手札が来ているのに、場にさらすカードの順番を間違えるという決定的なミスを犯して、すべてをおじゃんにしてしまった。
今回の教訓は、「自分は正しいことを主張しているのだから、人(市民・有権者)は聞く耳をもってくれるはずだ。」と安易に考えるなという事なのだろう。
政権担当者と一般市民では、責任感覚での立場が違いすぎるし、受け取る情報の量と質にも格段の差がある。認識や感覚が一致するほうがおかしいのかも。
認識を一致させ、説得にとりかかるにはそれなりの忍耐が必要なのだろう。 今回もイライラせっかちの性分が出てしまったのか。 やっぱり「短気は損気」だった。
(記: 2010年7月15日)
先日(6月8日)、テレビを点けたら丁度、菅直人新首相の就任記者会見の実況中継の場面に出くわした。テレビは普段あまり見ないので本当に偶然だった。
菅氏と言えば、筆者には「自分を見つめ直す」といって四国札所を巡る巡礼衣装姿の「変なおじさん」の印象が残っている。しかし、就任記者会見の冒頭の挨拶は自分の言葉・本音でしゃべっている誠実な政治家という印象で非常に良かった。
「政治の役割は最小不幸の社会を作ること」というのが彼の年来の主張であることを初めて知った。政治が出来ることの限度をわきまえた姿勢、あるいはそのことをしっかり意識してくれているリアリスト的政治家であることに驚いた。
「強い経済・強い財政・強い社会保障」 前任の首相のように「命を守る」「友愛社会」という抽象的なスローガンではなく、現実面で最も重要な経済と成長のテーマにプライオリティをつけてくれたという感じでこれも嬉しかった。
要するに私はいささか感動的な思いで彼の小演説を聴いていたのだ。
昨年の政権交代で何が良かったかと言えば、政治の可視化が進みつつあるという事だと考えている。ある新聞の論説委員がうまく表現していたように、従来の自民党政治の本質はステルス政治だった。さまざまな利権の為のグループが一般国民の目から利権の構造を隠しながら政治を廻していた。また、既得権益勢力のバランスと調整をとることが政治の主要な目的となり、将来に向かって大胆な戦略が立てられず社会に閉塞感を充満させることになった。
各種団体や勢力が互いの利益を主張し政策を争うことは当然の行動で、それ自体が悪いことでない。しかし、それは政策・法律がどのような効果と反面どういう副作用や問題点があるかを明白にしたうえで実行されるべきだろう。どんな施策にも利点と欠点があり、利益を直接得る者と不利益を直接又は間接に受ける人間や集団がある。
日本人は戦略的に事を進めるのが苦手だという見方がある。腹芸、以心伝心の世界では一部の人間の間での利権の配分や、やり取りには通じるかもしれないが、国民的議論を経た合意に達するのは難しい。公開された論議の中で初めて衆知を集めた戦略の形成が可能になるに違いない。
民主党の施策や公約の中には賛成できないものがいくつもあり、それゆえ筆者は無党派層の範疇に入らざるを得ないが、菅政権には歴史的な変革の時代の担い手として期待したい。就任会見から2週間たって、その間消費税の本格的検討に言及したせいか、支持率が6%も下がったという。道は遠く紆余曲折の波乱含みだと思うが、気長に見守っているので(寛容な有権者やね!)短気を起こさず(イラ菅にならず)頑張ってや!
(記:2010年6月22日)
3月6~7日、共同通信社が行った世論調査で、鳩山内閣に対する支持率がついに36%台となり、昨年9月の内閣発足時の72%から約半年の間に半減したことが明らかになった。
先月の長崎県知事選挙で民主党が支援していた候補が大敗したことでもその状況は明らかだ。
鳩山首相や小沢幹事長の政治資金に係わる不明朗な扱いや、鳩山首相のリーダーシップのおぼつかなさが国民の不信や失望をかったことがその主たる理由だと解されている。
それに違いないだろうが、筆者からみれば国民も勘違いした期待や妙な潔癖感を示してオーバーリアクションしている気がしてならない。
そもそも小沢一郎氏の場合は田中元首相の弟子を自認しておりその政治手法も真似をしていると広く知られていた。金権政治家の典型のような人物の弟子であれば、叩けばほこりの出る身体に違いないだろうのことは見当がつく。鳩山首相の場合は日頃から政治献金の集まりは極端に悪かったと言う。献金をするほうとしては貧乏人(鳩山氏と比較して相対的に)の自分達がなぜ富豪一族の人物に資金を提供しないといけないのか理解しにくいのも無理からぬところ。結果として母親からの資金融通のやり方が問題となった。
いずれにせよこれらの特異な政治家をリーダーとする民主党政権が、なぜかしら過剰に「清新な」イメージを持たれていたのは奇妙なことである。又、選挙公約としてのマニュフェストも盛りだくさんで、財源の問題からいって、半分か3分の1でも実現できれば御の字だろうと予測された。だから筆者などは民主党政権の予算編成での苦闘ぶりは想定された範囲内のことで特に今更、失望したなどという感は持っていない。(但し普天間基地問題の迷走は別だが)
国民は夢を見過ぎていたのではないか。昔ある女優が「夢はいつか醒めるものです」と述べたことがある。確か「お嫁さんにしたい女優 No1」の人が、私生活で離婚の事態になり、ファンの期待を裏切ったのでは、とマスコミの記者から非難めいた質問を受けた時の答えだ。
女優だって生身の人間。普通の人と同じようにいろいろあります。勝手にいつまでも夢を持たれても困ります、という思いを込めた悟りきった答え方が痛快だった。
夢や清新の言葉で思い出したのが、わが石川2区の田中美絵子議員だ。選挙前のイメージと当選直後のマスコミによる前歴暴露後のイメージの急変だ。
筆者は「アヘアヘ」映画や「おっぱいモミモミ」は個人的に言えば特に嫌いな事柄ではないが、政治家の前歴としては、余りすばらしいものとも思えない。
「懸命に生きてきました」という本人の釈明はその通りだろうが、そのバイタリティはもっとふさわしい活躍の場がありそうだ。議員任期終了後の天下り先(天上がり先というべきか)の就職先に加賀温泉郷のどこかの一流旅館の若女将などはどうだろうか。国会議員と女優の前歴をもつ女将は全国的な人気をよび地域の発展に大いに寄与してもらえるのではないか。
民主党政権の誕生への国民の期待は「チェンジ」であった。その必要性は今も変わらない。
夢から醒めて現実に向き合った今からが本当に重要な時ではないだろうか。
(記:2010年3月8日)
8月末の衆議院選挙で政権交代が決まった時、投資家はどう行動すべきだったのか?
一般的には「売り」が常識的な判断だったのだろう。業界・産業界ベースではなく消費者・国民への直接的な給付をめざす民主党の方針では経済政策・産業政策はいささか迂遠な方策になりがちだ。強力で有効な財政経済施策が打ち出されることは期待薄。
しかし、政権交代と言っても社会主義政権が出来た訳ではない。小沢幹事長はかって自民党の幹事長でもあり田中角栄の弟子でもある。鳩山首相も勿論自民党員だった。
当地、北陸では公共事業見直し、0ベースでの発想ということで北陸新幹線の完成遅延を憂慮したようだが私は最初から高を括っていた。彼らも今更白紙にするなどというほど馬鹿でもあるまい。選挙はまだまだあるのだから。
したがって私(編集人)個人の場合は買いの継続という姿勢だった。

ところが藤井財務相の円高容認と思われるような発言や鳩山首相のマクロ的な経済対策に関する関心の薄さなどが認識されるにつれ株価(日経平均での)は8月下旬の10,600円台をピークから徐々に下げ11月下旬には9080円台となった。3ヶ月間で約15%の下げ。ニューヨークのダウや上海市場などはその間、上昇が続いているのに東京市場はこの体たらく。私もあてがはずれてすっかり困ったという気分だった。
日経平均は一旦、11月27日(金)週末に9100円台を割り込んだが、翌週月曜(30日)以降は政府の円高・株安対策のための二次補正予算への対応や日銀のデフレ脱却のための資金供給量的緩和の態度が明らかになったことで、漸く上昇トレンドに入り息を吹き返してきた感がある。
今回のタラレバ表では、私と反対の観点で相場に取り組んだ人達の成績表という想定で、9月初めから11月27日前後の期間に重点をあてて作成しました。市場の全体的な指標(日経平均など)とは別に個別銘柄ベースではやはり相当の差がでていることが見受けられる。
人生は後悔の連続だと人は言う。あの時、こうしていたら、ああしておれば、今頃はこうだったと後になって思う。
もっぱら現在の不遇を嘆く場合が多いようだが、もし、あんなことをしていたら、今頃ひどい目に会っていた。そうしなくて運が良かったと、逆に現在の幸福を喜ぶ場合もあるだろう。
懐古趣味ではなく、なんらかの教訓を読み取ろうと過去を振り返るなら「タラ・レバ」も単なる思考のお遊びの域を出て有益な意味を持つかもしれない。
日経平均は昨年10月につけた6,995円の安値に対し今年の3月10日再びそれに近い安値7,021円を付けた。
しかし、その後の上昇で結局これが2番底となりW字型の底を形成した。「山より大きな猪は出ない」という安心感がこの時点で広がったと思う。さらに3月末に向けては政策的にも値をあげる必要があるとの思惑もあり11日以降、急速に値を上げていった。ここで買いに入った人が多いと思われる。
このタラ・レバ表では日経平均が3月の底値から15%近く上がった時点で買いのポジションに入ったと前提にし、6月1日現在での利得を試算した。
かなり、慎重なタイプの投資家を想定している。実際にはここでの対象の銘柄は日経平均の動きのパターンとは同じではなく、例えば「コマツ」にしろ「村田製作所」にしろ大底は昨年の10月であり今年の3月の日経の下げの時でも大底から既に約3割アップの水準であった。10月底値との比較ならば6月現在の株価は「コマツ」は2倍に、「村田」は1.6倍になっており「勘と運」のよい投資家は大きな収益を挙げていることが推定される。
PDFで大きく見る

東電福島原子力発電所の事故は原発のもろさというものを嫌になるほど強烈にみせつけてくれた。 恥ずかしながら筆者は今まで原発の存在にほとんど関心をもっていませんでした。
日本は原子力については他国よりはるかに神経質にならざるを得ない歴史的経緯があるし、技術者や国もそれをわきまえて几帳面に取り組んでくれてるはずだという安易な気になっていたからです。
しかし、「想定外」の事態という言い訳が頻繁に使われると、電力会社の人間をはじめアドバイザー役の学者達も含めて危機管理の能力がまったく無いのだということが良くわかった。 一方、今回の事態で筆者がにわか勉強で読んだ資料(本)の中で今の福島原発の状況をまさに予見している本があった。 広瀬隆著「原子炉時限爆弾」(ダイヤモンド社)。 巨大地震と津波の原発への危険性、起こりうる事態について怖いほど的中させている。 一昔前、ノストラダムスの大予言というのが世間の話題になっていたことをまだ憶えているいる人は多いと思う。1999年に人類が滅亡するというその予言は幸いにはずれてくれたが、原発の事故についての広瀬氏の科学的予言は不幸にも大当たりになってしまった。
日本の原子力発電が始まったのは4~50年も前だ。 その当時は今ほどプレート型地震や活断層などの地質学的研究は進んでいなかったので、耐震設計等に結果的に甘い面があったとしてもある程度やむを得なかったのかもしれない。 しかし、新しい知見やデータをもとに積極的に見直すべきだった。目先の利益、コスト抑制のために結局、最悪の事態を招いてしまった。
六ヶ所村での核廃棄物処理保管所の問題も、50年100年単位で見ると収納容器の耐腐食性などからしていい加減さが目立つ。又、その膨大な何十兆円にも及ぶ処理保管費用も大変な問題だ。
国土面積や地層条件に余裕のあるアメリカやロシアなどと異なり、地震大国、火山大国の日本にはウラン・プルトニュウム原子力の発電所に適した場所などどこにも無いだろう。 即座に全廃は無理だとしても、すみやかな廃炉撤収の実行を国策で行うしかないと思える。
しかし、原子力に代わる電力エネルギー源はあるのだろうか。 誰しも太陽光熱・風力などの自然エネルギーを思いつくが、これは電力会社が言うとおり、太陽光は設備に金がかかりすぎるし両方とも文字通りお天気次第で当てにならないと私なども思う。個人の趣味の世界なのかもしれない。
そうすると既存の燃料であるLNG、石炭、石油に戻らざるを得ない。いかにCO2を取り除くか回収技術の飛躍的進展に全力を尽くさざるをえない。 高熱に耐える透過膜形式の装置を実用化しつつある企業もあるということなので地球温暖化対策もかなり満足できそうだ。 しかし化石燃料資源の有限性を考えると長期的にはやはり心もとない。
実は原子力の平和利用については現用のウラン・サイクルのほかにトリウム・サイクルと呼ばれている方式があり、原理的に暴走することが無いなど数々の利点がある安全な方式であるということだ。 日本では京都大学原子炉実験所が細々と研究を行っているという。 もともとトリウムの産出が多いインドでも関心をもって研究が進められているらしいが、なんと中国も今年の1月25日にこの方式のトリウム溶融塩原子炉の開発を行うと公式発表していた。
発表当時は話題にならなかったが、3・11の福島の事故以来にわかに世界的にも注目を浴びはじめた。
世界的な開発競争が始まろうとしている。 日本も早急かつ正式に大規模開発による実用化の検討を行うべきだろう。 (記 2011年4月11日)
話題のコンビニ店のうち、一方が11月13日ついに開店に漕ぎ着けた。客の入りもまあまあの様子。ご同慶の至りといったところ。 もう一方の方は依然進展がみられないようすだが、とりあえず住民は一安心。 (記:09年11月20日)
(追記:2010年2月10日には、もう一つもようやく開店しました)

2ヶ月ほど前、編集人が住んでいる町内で某社のコンビニ店建設が始まった
1年前に新しく出来た道沿いだ。市民病院の前を通る道で車の交通量はそこそこある。
町内の住民はみなコンビニが近くにできることを喜んだ。
ところが、半月ほど遅れて同じ道路に面して100メータも離れているか
いないかのところに別の系列のコンビニ店の建設が始まった。
素人目にみても、この付近の商圏は大きくない。田畑が住宅と混在し、マンションや
アパートはそれほど多くはなく一戸建てが中心。新しい道を走る車の客をあてにしているのだろうが
が、それでも2軒のコンビニは無理ではないか。
周囲の懸念をよそに工事はどんどん進んだ。両方とも商品を搬入できるくらいに建屋はできあがったのだが、そこでまた住民を驚かせることが
起った。「経営者募集」の看板が双方とも大きく掲げられたままなのだ。
陣取り合戦の激しさと飽和状態での経営の厳しさを象徴するような光景に、住民は期待と不安の複雑な気持ちで事態の推移を見守っている。 (記:09年8月3日)
![]() |
![]() |
(国政選挙に寄せて議論提起)
麻生首相が解散時期を遅らせている間に、森元首相の地盤である石川2区では民主党の新人田中氏の知名度が高まってきた。各種調査では接戦が予想されるまでになっているという。
当事者本人や双方の陣営のコアサポーターにとっては当落は天国か地獄のどちらかの一大事だが、一般の有権者にとっては、どの党が政権を握りどんな政策を実行するのか全国ベースの展開が気になるところだ。
現時点では、各種機関の調査では民主党中心の政権ができそうと予測している。自民・公明党は野党に転落となる。しかし、もともと民主党は寄り合い世帯の感が強く、安定感に疑問符がつく。野党になった自民の一部を巻き込んで政界再編劇が政権成立後も起きそうだ。
各党のマニュフェストが発行され政策が出揃った。政権を担った党派は責任をもって実行してもらいたいものだ。 しかし、筆者(編集人)には基本的に重要な論議が抜けている気がしてならない。雇用問題、年金、医療、少子化子育て問題。これらすべて国の財政の問題でもあり、根底には国力・産業の発展という状況下でなければ実質的な解決が図れない課題だ。付加価値のある産業(雇用と税収を増やす)をどう戦略的に繁栄させるかという産業論的グランドデザインが必要であり、それを示している党派が無いことだ。
国力の衰退、経済規模の縮小の中では、個々の課題は縮小均衡での惨めさの配分調整という形でしか対応が出来ない。経産省などは個々の産業分野で振興策の立案や旗振り努力をしてきているが、目立つような成功例を聞かない。縦割り官僚ベースの発想ではなくそれこそ政治主導の大きなデザインでの実行が必要だろう。 記:09年8月3日
7月24日、小松・静岡間を55分で結ぶ定期航空便が就航した。運航会社はFDA(フジドリームエアラインズ)。
浜松、静岡の企業とのアクセスが容易になった。空港との距離が大きいユーザーにとっては、陸路比較での時間短縮効果が、それほどでもないという声も聞かれるが、通常は揺れが少なく座席拘束時間の短い航空便は疲労度に関し大きなメリットがあるのではないだろうか。
4月14日 コマツ【(株)小松製作所】は国内工場再編の一環として小松市の小松工場を2010年3月末で閉鎖し産機事業を金沢工場等に集約することを発表した。
(コメント)
コマツのロジスティック戦略からは産機事業を金沢港隣接の金沢工場に集約することは既定路線だったようで、今回の世界不況が実行を早めただけとも言える。
創業の地である工場が閉鎖されることと、企業からの税収や雇用人口の喪失は小松市にとっては大きな痛手であることは確かだ。
しかし、駅隣接の広大な土地に撤収しつつある工場がいつまでもあるということは市の計画的発展にとっては望ましいことではなかったとも言える。小松市はこの機を捉えて前向きに、豊かな構想で行政としての跡地の利用計画を策定すべきだろう。 そこでは改めて空港の町としての小松のポジショニングが意識されなければならないだろう。 ==> 続けて読む
片山津温泉の「せきや」、山中温泉の「よしのや依緑園」が12月に入って相次いで破産手続きに入った。「せきや」は明治19年創業、代表の関憲志朗氏は片山津観光協会会長をも務める。一方、「よしのや依緑園」は数々の要人を迎えてきた創業来800年の超老舗。
(評) 従来型経営の老舗旅館の時代が終わったという感を深くする。破綻企業の施設を取得し、発射台のコストを抑えたうえで新しい形での顧客満足度を追求する「湯快リゾート」や「大江戸温泉物語グループ」などの新興勢力の時代になったことを如実に物語るようだ。
世界的な不況の時代というものの、日本人が温泉に入って酒や料理を味わい、美しい景色やめずらしい物で目の保養をするという楽しみは不変だろう。不況が深まるとしても今まで海外旅行に出かけていた層などがむしろ手近な国内旅行に回帰してくることにより市場自体が小さくなることはないのではないか。需要の掘り起こしには十分希望が持てると思えるのだが。